事始めの記事にはふさわしくないけど、 ウーマンラッシュアワー の村本批判を見て凄く疑問に思うこと

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

新年1発目の記事が世情とか政治ネタってのはなんとなくヘビーかなという気もするけど、北朝鮮と韓国が雪解け姿勢を見せたり、また激動なことが起きそうな気がする。

そんな中、新年にだらだらとテレビをつけていたら朝生がやっていたので、そういえば、毎年ごちゃごちゃやっとるなと見ていたら、ウーマンの村本がでていた。

先年、暮れにおこなわれたThe MANZAIで行われた漫才が話題になっていて、見ていてその内容には賛否両論だったし、面白いかと聞かれれば、そうではなく、あの時間によくもまあ、あの情報量を詰め込むなと言うことを関心した。

また、ああいった場で、ああいったネタを演じるというのはある意味勝負だし、落ち目のフジテレビだから出来たことって気もする。

それはよいとして、朝生でのこの発言が話題になっている。

村本大輔「自衛隊は何が違憲なの?」
井上達夫「9条2項を読んだ事ある?自分の無知を恥じなさい」
村「俺は視聴者の代弁者!」
井「村本の発言にある種の愚民感を感じる。君は一見国民の目線に立ってるようだけど凄く上から目線なんだよ。説明すれば小学生でもわかる話。同じ事を護憲派がやる」#朝生

これはこれでかまわないのだけど、朝生に出ている人が上から目線とか言っているのは笑えた。

まあ、この井上達夫さんは東大の先生だったかと思うので、お偉い人と自認しているから上から目線でも良いのだろう。

かなり左向きで、意識が下流で流れてくる情報に対して脊髄反射のように批判する左下の人たちは、これを大いに賛美して右向きの人でも勉強が足りない、村本は馬鹿だ、知らない癖にものを言うなという論を唱える右下の人たちは、どちらももの悲しい存在だと思います。

左下の代表例としては、共産党の方々を応援している様な人や政治家でいれば有田ヨシフさんとかは代表になるんでしょうね。

右下で言えば小林よしのり。

[blogcard url=https://yoshinori-kobayashi.com/14780/]

村本は中高生でもないし、若者でもない、無知なおっさんだ。
無知は罪でもある。
わし自身を振り返りつつ言うが、無知は常に恥じて勉強し続けなければならない。
無知に開き直って、これが国民の知的水準だと抗弁するのは、国民に対して失礼である。

と語っているように、無知は罪だという。

知識というのは、機会があって初めて学ぶもので、多くの人の生活には関係のない、戦争や自衛隊、憲法改正というものはいくら話題に出しても、それが明日から生活が激変させるということにならない限り、何も考えることはないだろうし、知るきっかけなんてない。

だって、生活に必要ないからだ。

小林よしのりは、自分で本を書いたりしていくうちにそうしたことを考え、まとめ上げたはずでそうした知識をあまねく人にもてと言うのは傲慢で、37歳おっさんと言っている村本がそうしたことをこれまでに学ぶ機会があったのかということだ。

ウーマンの村本のネタを見るとわかるけど、常に自分の周りにある理不尽に対して疑問を持っているわけで、その事象がどういった経緯で起こり、それによって何が損なわれて、どうしてそれが問題なのか?と言う事までは考えが至っていないわけだ。

漫才上では、そうしたことを語る時間がないだけなのかな?とも思えるけど、実際には、アベマなどの番組をザっと見てその他のことも見聞きしてみると、浅学で知り得た知識を深掘りするのではなく目の前にいる人の話が全てというスタンスなんだよね。

これは木を見て森を見ない典型で、自分の持っていたアベマ番組で、選挙に行っていたのに行っていないと言うネタや、ネットニュースのライターと直接対決というネタでフェイクニュースを演出して悦に入っている面を見ると浅学になってしまっている。

これに右往左往している左下や右下の人たちは、どうにも話にならないが、その後に沖縄で仕事だったらしく、辺野古に行ってそこで座りこんでいる人たちと酒を飲んだらしい。

酒を飲んで話せば全て本音になって相手は素直に語ってくれる?=対話が大事?

酒を飲んで話をすれば胸襟を開いて本音がわかると思っているのかもしれませんが、これって、某シールズでシュプレヒコールをしていた学生と同じで、その会話で話されていることが本音だと思ってしまう浅さがある。

実際には、そうした面は片面だけで、自分がアベマの番組で言っていたように一面でしかないはずなのに、その目の前で話されたことが全てになってしまっているので、結局、その一面が自分の接した全てで、自分から見た他人の全てとしてしまっている点が、何だか、浅いというか人の一面に振り回されている。

政治などや戦争を語ったりするときに良く、相手の立場に立って考える必要はないのか?という自称平和の使者的な人の物言いとも同じで、戦争や侵略が起きるときには必ず自分からアクションをおこした結果ではなく、相手がしてきた結果で起きると言う事がわからないと駄目だと思う。

アメリカで言えば、国内の選挙状況などを元に、きな臭いことを解決して見せて強い自分を示す。

日本が戦争をしたときも、アメリカの無理難題だけではなく、国際連合から脱退したことによる弊害ということから始まっているわけで、そうした背景には経済などの要因もある。

戦争や侵略は、その宣言をして攻めてくる相手が基本経済的苦境に瀕している時であって、日本も当時はそうだった。

だから、今は、そうしたことにならない様に日本を悪く言う国以外と仲良くするためにアメリカと同盟を結んだり、その仲間を増やす努力をしている。

基本同盟というものはいつ破られるかもしれないという準備はしておくべきだし、悪い時には韜光養晦(とうこうようかい)の考えを持って自国を強くし、強くなってから一気に回りを支配していく覇権を拡大していく中国の考えなどは大いに見習うべきだろう。

村本のネタは基本、そうした深い面を見ておらず、基本は目の前の事象がすべてであり、殺しに来たら逃げ、相手が無意味に暴力を振るってくることはない前提でいて、相手が無為に攻撃をしてきたら逃げれば良いという考えだ。そして人を殺すなら自分が死ぬ方が良い。という考え。



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