地方都市の小規模大学で生き残りたいとか本気なのか?
東京も小規模な大学って結構あるわけで、名前も良く聞いたことのない大学って実は無数と言って良いほどある。
そうした意味で、東京都内に大学を作るのって規制をするなんて話もあったわけですが、今、地方の大学ってメインは留学生という就労学生を海外から受け入れて生き残りを図っている。
大学数 構成比
第1位 東京都 139 (17.8%)
第2位 大阪府 56 (7.2%)
第3位 愛知県 51 (6.5%)
第4位 兵庫県 42 (5.4%)
第5位 北海道 35 (4.5%)
第5位 福岡県 35 (4.5%)
第7位 京都府 32 (4.1%)
第8位 埼玉県 29 (3.7%)
第9位 千葉県 28 (3.6%)
第9位 神奈川県 28 (3.6%)
なんてかたちになっているくらいで大都市圏に基本は集中している。北海道だけ地域ではなく全体というのがみそだけど。
その一方で、留学生の在籍状況を見てみると、様相が少し変わってくる(日本学生支援機構「外国人留学生在籍状況調査」)から
平成29年5月1日現在の留学生数
267,042人 (前年比 27,755人(11.6%)増)
在学段階別留学生数
大学院 | 46,373人 | 2,895人(6.7%)増 |
---|---|---|
大学(学部) | 77,546人 | 5,317人(7.4%)増 |
短期大学 | 1,915人 | 385人(25.2%)増 |
高等専門学校 | 559人 | 5人(0.9%)減 |
専修学校(専門課程) | 58,771人 | 8,536人(17.0%)増 |
準備教育課程 | 3,220人 | 134人(4.3%)増 |
日本語教育機関 | 78,658人 | 10,493人(15.4%)増 |
ってな具合。各課程で確実に留学生に頼っている。

日本語教育機関というのは、留学とかで日本に来た学生なりに日本語を教える学校なんだろうけど、様相としては塾に近いのだろうと思うが、確実に増えている。
留学生数 構成比
第1位 東京都 43,188人(31.3%)
第2位 福岡県 10,635人( 7.7%)
第3位 大阪府 10,325人( 7.5%)
第4位 愛知県 6,706人( 4.9%)
第5位 京都府 6,246人(4.5%)
第6位 埼玉県 6,013人(4.4%)
第7位 京都府 4,959人(3.6%)
第8位 千葉県 4,850人(3.5%)
第9位 神奈川県 4,680人(3.4%)
第10位 大分県 3,873人(2.8%)
このデータ自体は2012年の数字で、2017年になって267,042人 (前年比 27,755人(11.6%)増)となっていることを見るとその伸び率は異常な位に留学生に頼っていることがよくわかる。
やはり、大学の数が多すぎると言う事が明白なのかもしれない。
日本国内の日本人だけに学ぶ機会を提供するのが大学という高度教育機関の役目ではないことはわかるが、海外の超有名大学のようにその学校で学ぶ内容が本当に役立つものになっているのか?と言う事が問題で、陳腐化して自分の学んで来た範囲だけのことを保守的に教えていて、何年も教える教科書を変えていないような教授がいる大学はなくなってもかまわないと思う。
だって、大学は先進的な教育をされるべきだし、その教える内容だってアップデートをされるべき。
基本として、地方の大学はその自治体と結びついて、その自治体で役立つ人材を輩出出来る大学以外は実は不要なのではないだろうか?と思う。
奨学金だって、今、用意されている奨学金は単なる学資ローンだし、そんな学資ローンでしか大学に行けない人は実は大学に行く必要なんてない。
本当に学びたいことがあって、その学びたいことに合わせた大学で、集中して勉強だけをする必要のある人が大学に行くべきで、それ以外に無償の奨学金を貸与する必要なんてないわけで、大学なんて数と学生数を見ればすでに全入時代にはなっているけど、基本、大学の質の問題でFラン大学は、ほぼ、滅びて問題ない。
そうした意味で、教育の仕組みとして就業に必要な技能や知識を高度化するために行く必要のある大学と、高度な専門性を持った人材を育成するための大学以外ってどういった存在意義があるのか逆に教えてほしい。
そうした意味では、地方には大学って県に1つ、私大に1つくらいで十分でそれ以外の大学って、単に教授方を生き延びさせるためだけに存在する場所って気もする。
まあ、よほど特色があって、専門性のある教授陣を集めて学習の機会を提供出来る大学以外って必要ないし、そもそも大学は遊びに行く場所ではなく、自由を謳歌するのではなく、その先の目的のために学ぶ場であるべき何だよね。
今は、リカレントなどで社会人の大学というものも考えられているが、企業としても専門的な研究者を必要としている場合はそうした専門的な能力を伸ばすために大学という存在は価値がある。
職業的な学習なら専門学校があるのでは?なんて話もあるが、では、大学の下位にある専門学校なんてますます必要なくなるし、専門学校は基本各種学校以外は、補助金も受けているけど、同じような金太郎飴的な専門学校だって不要だと思う。
専門学校と言っても、基本は学校法人格を獲ると文科省の提供しているカリキュラムを教える必要があったりするけど、そんなカリキュラムって実はいらない。
例えば、IT系の学部のある大学や専門学校では座学だけで教えられてプログラムができるのか?と言う話もあるが、それはハッキリ言って無理。
就学一体化したような教育と仕事を直結したような仕組みが必要で、オンラインの学習機会を提供したりTINCANなどのeラーニングの継続学習の仕組みと一体化した仕組みを導入したほうがマシだと思う。
大規模な校舎を構えて学生を受け入れて学習機会を提供するのって実は大きな時間を奪う仕組み以外何者でもないし、知見ってアップデートはされていくべきなんだから、オンラインで収録したものを何年もアップデートしないで、存在させるというのも意味があるのかなんてことを考えてしまう。
だから、単純に地方だから起業学部を作れとかは浅くて、同じ人の知見に頼った金太郎飴的な学習をそこで提供するというのも問題だ。
基本は、その地域で役立つ人材を輩出してその地域で根ざした人材を作ることができるのか?と言う事が大学の意義だろうし、その地域で名士と言われる知見を持った人が教授をするべきだ。
まあ、それ以外は大学は研究機関という側面もあるので、知見をオンライン化してきちんと参照出来るビックデータに出来るかということが問われる。
だから、大学などに出す補助金も成果点をそうした研究結果をどれだけオンライン化したのか?ビックデータ化したのかに対しての評価を重要視した方がいい。単に論文で学会で発表したと言った事を成果点にしているから、あまりに時間が足りないし発表出来る機会だって増えない。
基本として、だれでも自由に公表出来て、それが生活にいかに役立つかを提案出来る様な研究以外って単に趣味でしかないわけで、知見をいかすってことは、研究して公表してそれをどれだけの人に伝えて役立たせるか?と言う事が一番大切なこと何ではなかろうか?と思う今日この頃だったわけです。
ネットで、知見のある人に聞いてもほぼ同じ答えしか返ってこないだろうし、それを実践出来ない教育機関っていらないだろってのが本音の意見。
まあ、Fラン大学=小規模大学ってわけでもないし、有能な教授方がいる大学以外はなくなっても誰も悲しまないし卒業生が~云々は単なる郷愁に過ぎないから、そんなもので左右されるべきではないよね。