クリエイティビティとかリッチメディアとか言っても、そのメディアから、創造物から提供されている情報やものといった受益者が受け取るべき成果物に価値がなければ値付けは無限大に増大をしていく。
かっこいいとか綺麗とか創造性があるとかって評価は、評価されているように見えて実は単にわけわからんと言われているようなもの。
いい事務所に入りたい
とか言ってる時点で自分では
何もするつもりないんだろう実力ないから
せめて力ある会社に面倒みてもらおうとか。虫が良過ぎる。
まず。行きたい場所があるなら
それに見合う自分になる事を始めて
求めていこう
要求ばかりして
与えようとしない奴は
表現者ではない— 岡本直樹(何者でしょうね) (@70keyclone) 2016年4月3日
このツイートってまさにまとを得ている。
ただ気を付けなくてはいけないのは、そうした意味で逆進性があるのか、大企業に入って勘違いをした人。
企業の歴史と力がそこに属する末端の社員の力であると勘違いをしてしまうとダメだよね。
何が売り物かを考えてとらえておかないとダメ
俳優、声優の仕事って自分自身が商材だから自分をどこまで行っても商品としてとらえて売らなければいけない。
確かに小さな事務所は売る先がないので棚に並べておいて来る人に対して販売をするという商店スタイルになりがち。
大きな事務所になれば、自分で販売先を開拓してそこに自分の商材を下ろすこともできます。
吉本しかり、ホリプロしかり、上場しているような芸能事務所ってそうした意味で、販売先であるメディアや小屋を自分で買って運営する事で多くの商材をその棚に並べて小さな利益から大きな利益も確保する。
そういった意味で、商材の生産から販売ルート、商材の管理、広告など一環したワンストップサービスを持っている。
だから、大きな事務所って話も俯瞰するのだろうけど、そうした大きな事務所は先行投資で商品をラッピングして売れるように磨きをかけていく。けど、声優の事務所くらいだと、制作会社といったも自社のルートだけで大きな販路を持ってる会社って少ないから声優ってカテゴリになったときに大きな事務所でも売れません。
自分という商材を磨き続ける必要は永遠にあります。でないと売れなくなります。
まずは、畑に種をまこう
まず、アイデアありきで商品棚を作ってそこに集客して売ると言うスキームでやろうとするとその棚に魅力ある商材を並べる必要がある。
いわゆる売れ筋という商品ですね。
また、打ちたい商材として新開発商品。
ラッピングを変えて限定商品として売り出す。
値下げする商品。
増量する商品。
といったように棚に並べる商品を売る為の小売りの戦術はいっぱいある。
でも、結局売れるのは売れ筋商品なんです。
商品のウチの30%が良く動く商品でそのうち売り上げの上位を占めるのは10%くらいなは当たり前。
良く蟻とキリギリス論で、組織を運営すると10%がサボる人になるって論。
この10%が30でも20でもいくつでもいいのですが、結局よく売れるのは全体の10%というのは変わらない。
だから、この10%になるような定番、売れ筋って商材を一所懸命に作るスキームが大事だったりする。
そうした意味で、育てる環境というのが必要。
その為には経験を積む下積み時代という時期が必要になってくる。
良く下積み経験なんてなくトントン拍子に世に露出をしていくケースってあるように思うかも知れませんが、初期の頃にやっている仕事って下積みです。
売れてない商材から見れば、大きな仕事でも売れた商材から見れば小さな仕事という風になってしまうのは当たり前にあります。
だから、畑を作りまず、経験を積む体験をしてみると言うスペースを先に作らないとその後の経験を実際的に積む段階に進む事はできません。
ダイヤの原石ってある
まあ、売れる人ってホント、一目見れば、一声聞けばわかります。
この辺り実際に、声を聞いたり現場で仕事をしている人に接すると良くわかる。
つまり、モノが違うって話。
このモノって部分はいくら学んでも追いつく事はできません。
オーラというか、売れる素養ってホント見ればわかる。
だから、何かのワンチャンスで世に出ても継続して出て行けない場合は、この素養がなかったと言う事。
だから、バカになってファーストインプレッションを鍛えろとか、見た目とか、巨乳の声優というよくわからないカテゴライズついた時点で負けなんですよ。
そうした、本質と違うキャッチコピーでしか売れない商材というものは、付加価値がないと言う事。
才能ってあるんです。
売れている人のお芝居なり存在なりって才能の結果でしかありません。
そしてその才能を開花させるのは、たゆまぬ努力。
逃げないと言う姿勢です。
人から仕事を頂いていると考えている人やクライアントや依頼者、発注主の言う事が絶対で、それに逆らってはいけないとかばからしい。
何をなすにしても、その結果に対する狙いや、コミット、提供する価値。最終消費者に如何に最高の素材を届けるかを考えられないと価値がないし、その為には、基礎や芝居のイロハ、どういった表現をするのかを絶えず学んでいるか?
才能のある人は、継続してそれを現場という実践の場で経験し続ける事ができるし、学校で先生の前でしかやらない芝居やレッスンは、経験値としては実践ではないので0.1を積み上げているようなもの。
だから、才能のある人に追いつく事って、才能のない人では無理です。
そうした意味で、視点をずらして、違う方面からのアプローチでワンチャンスをつかむ事や、出会いってその学ぶ過程の中で必ずあるはず何です。
才能のある人はとかく、その才能におごってしまい消えて行く人もいるし、その才能で持ち上げられている時に隣の芝を見てあの人は「あれ」が出来て私にはなぜその仕事が来ないの?と疑問ではなく文句を言ってしまう人。
こうしたおごりは才能を曇らせるし、開花した花も賞味期限というものがあり、来年も咲き続けとは限らない事を忘れてはいけない。
まとめ
総じて行ってしまえば、虚栄のように俺はすごいとか、何でもやりますとかクチにしている人は価値がない事を露呈している訳だから、使命された時に最大のパフォーマンスを発揮出来る能力を持って欲しい。
売れる瞬間にチャンスをつかむ能力を開発して、自分の才能に定着させる為の土壌を耕す事を怠らないと言う能力開発は続けなくてはいけません。
これ、メッセージとしてはいいけど、商品を売るとかブランドとは一切関係ないから、カップヌードルは売れないと思うけど、企業の姿勢を伝えたいのだったら成功なのかも。
つまり、カップヌードルは申し分け程度に入れて、その予算で企業PRのCM作った的なね。
企業ブランドの価値が上がるかって聞かれると上がらないとは思うけど。
商品として伝わるってならこっちの方が伝わるしね。
演技がうまくなっていますかと聞かれることあるけど、演技ってうまい下手って一丁一旦では変わらない。
だから、テレビだけで芝居している人の演技ってどこに行っても同じ演技しかしてないでしょ。
舞台とか、客前にたってはじめて変わるというもの。同じ環境で経験だけを積んでもレベルアップにはほど遠い。