昔は、それこそ良い大学を出て良い会社に入っていい人と結婚してそれなりの家庭を築くのが幸せなんて言われていたけど、バブルはじけてデフレになってからはそんな生活は消え去りました。
これ決して悲観している訳でもなくて、老人が老人の為に政治をしているから既得権になって旧態依然として構造や世界が残り続ける事になる。
残ってもいい慣習とそうではない慣習を切り分けなくてはいけないけど、それができないのは、やはり足元である教育システムが間違っているから何だと思う。
特に日本の教育は、東大トップにした旧帝大の国立大と私立で教育システムが作り上げられていて、それが当たり前としてはびこっている。
私としては、その当たり前って、基本戦後に生まれたシステムで、歴史でもなければ文化でも何でもなくて単なる慣習だと思っている。
それも歴史も何もない、裏打ちのない無意味な慣習。
それを守ることに何の価値もないのに、先輩が作り挙げた伝統だから、それを守るべきって話をされるとバカだなと思う。
だって、たかだか100年にも満たない慣習に歴史も伝統もなくて、単なる習慣の延長であり、その行為自体に価値はまるでない事に気がつかないというのはハッキリ言えば、愚か者、バカのする役目なんだろう。
そうした、意味だと東大に入るのは本当に頭のいい人から言わせるとあんなバカな大学に入るというのは嫌だという気持ちを言うのは理解出来る。
この場合のバカは、思考が硬質かして、旧態依然の学問を至上としている勉強の環境では、答えのある学問に対して答える事はできるけど新しい発想は生まれないのが常というのがわかるから何だろうと思う。
まあ、教育システム自体がバカがバカを教えている構造というのは変わらない訳だから、ダメなんだろう。
しかし、昨今大学として新しい取り組みを色々されている近畿大学などはかなり違う。
マグロもそうだけど、とにかくぶっ飛んでいる。
★春アニメはこの20本。映像・芸術論1が暴風警報により休講だったので、初めて発表です。ご参考に! pic.twitter.com/m1u3iYmYXu
— 町口哲生 (@tetuomachiguchi) 2016年4月8日
まあ、大学に入って映像・芸術論1という課目を取る事になんの意味があるのかわからないし、マスコミに入る役に立つとも思えない。
他方で、アニメの評論する人は少ないし、評論する人自体がどうかしている人が多いので、評論自体が当たり前になるためには、ある意味の方法論を教えるのはいいと想う。
しかし、この町口さんと言う人はどういう人なのか?
サブカルに造詣が深いと言う事になっているし、音楽なども別アカで発信するほど好きみたい。
見事に斜陽産業が好きなんだな。
本講座ではアニメを題材として映像・芸術論を試み、ガンダムと旧エヴァは例外として、基本的にゼロ年代以降のアニメ潮流を整理しながら、重要作を解析していきます。たとえばスタドラ、コードギアス、らき☆すた、デュラララ!!、「物語」シリーズ、タイバニ、ピンドラ、サイコパスなど。また各論で、萌えとは何か、ソーシャルゲーム、腐女子文化、コスプレ文化、記号学でマンガを読むなどを論じます。
※注意:アニメやマンガなどのコンテンツに詳しい人向けの講義です。オタクや腐女子の言説をふつうに使いますので注意して下さい。
この講座から何を学ぶのか?
と言うか教える内容は?
なんてのが気になっていたら、そのレビューが。
[blogcard url=https://bylines.news.yahoo.co.jp/ishiwatarireiji/20160523-00057957/]
どうかしているね。
まあ、物語の構造を語るのも論じるのもいいけど、ここから何を得るのかが全くの謎。
おそらく、その回答は、その授業を教授している本人もわからない可能性もある。
だって、この知識おそらく役に立たないからね。
きちんと学んで他の知識も体系的に付けていれば役に立つケースもあるけど、それが実生活で役に立つ人ってホントこの講座を取った人からでるかと聞かれればいないのでは?
って答えしか言えません。
謎である。
コレが高度教育かはわからないけど、ある意味高度。それも知識が高いのではなく、単に角度の高いという高度ね。
どうかしてるぜ~。
くらいの人間がちょうどよくて、勉強だけ出来る良い子ちゃんは不要なんだよね。
だから、演技でも何でも自分の頭で悩んでいる人と天然以外の戦略家は大抵墓穴を掘る。
まあ、演劇、芸能の仕事こそオール岩盤型というか既得権バリバリだから、外堀を包囲していくように変えていくしかない。
そして、構造としては、誰でもなれるのではなく、もう一度プロしかなれないというモノを作ると言うか区分けをする必要がある。
そういった意味では、声優の仕事をアイドルちゃんは下さいと言っている時点でどうかしてるけどね。