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前回はレセプションが行われるまでの話。
まあ、このレセプションまでは、木を植える作業をみんなしていた。
ただ、私だけが違う仕事。
そう、会社に入るときに2つの仕事を依頼されていた。
それは、動画をエンコードするということ。
モバイル(ガラケーね)で動画配信をするという事も技術として持っていたと言う触れ込みで、実態はJIGJPが当時持っていたエンコーダーとプレイヤーでのOEMサービスって感じ。
ユーザーが増えるたびに配信サーバーを沢山設置しなくてはいけないという動画配信サービスというものはコストがかかるので大変です。
まあ、その動画自体をまず、モバイルで見れる形式にエンコードして上げる必要があるので、その作業をする必要があったというわけ。
コンテンツ自体は、まあ、言わないでも良いけど言ってしまう。
そう、AVでした。
600本くらいはあったかな?
メーカーと契約したのか、どういった経緯でそうした話を持ってきたのかわかりませんが、まあ、初期のベンチャーではよくある話。
なんでもやりまっせ-という話です。
初めに与えられた、端末が当時だから、Pentium4のCPUのウィンドウズ機。
それで、DVDから動画をモバイルの動画にまずリッピングをして動画ファイルを作ります。それをさらに、Jigjpのモバイルプレイヤーで見る事ができる形式にエンコードをする必要がある。
まあ、それをやったという話。
就業時間って概念が一応はあったけど、レセプションまでの期間はないも同じで、10時出社でテッペンまで帰らないというか、平気で泊まっていました。
特に島に木を植えていたチームは。
私は、ひたすら、リッピングをしてエンコード。
初めは、手元のPC2台でやっていましたが、効率が上がらないのでラック型のサーバーにWindows2000を入れて、そのサーバーにネットワーク越しにファイルを書き出してサーバー上でエンコードするようにしたら稼働率が上がった。
なんだかんだで一人でリッピングをしつつ、エンコードという作業を延々とやっていた。
PC2台にサーバーを10台
サーバーを1台はFTPアップロード用に設定していたので、書き出したファイルをそのFTPでアップロードする。
あとは、サイト用のメタデータを延々作るという仕事。
不毛だ。
まあ、私は天辺をを超えてまで仕事をするつもりもなかったので12時前か、そのくらいには帰宅をしていました。
なんだかんだで、そうした仕事を3ヶ月くらいはしていたかな?
他にも、モバイルサイトを立ち上げるって話とか、いくつかの配信サービスを手がけていたり鉄腕アトムなどの配信などもしていた事を考えるとおもしろいというか、拡大路線をとっていた。
同時に、セカンドライフについての補足をもう少ししなくてはいけないので記載して行きます。
自由という不自由を解消する為に成約と契約がある
セカンドライフは果てしなく自由です。
島には何を作っても良いし、スクリプトを書くことができれば色々、仕掛けをする事もできます。
フム。
また、日本に入ってきた当時、何故セカンドライフがバブルのようにブームになったかと言えば、そこには錬金術があったから。
20万くらいのサーバーを借りて島を自分の所有として一般に公開することが出来ますが、この購入した島をさらに再販売する事ができるのです。
ただ、入ってくる金額はL$(リンデンドル)という仮想通貨。
この仮想通貨をセカンドライフが運営するリンデンラボ社はキャッシュアウトする事を認めていました。
だから、本国アメリカでも人気の島を作りそこを拡張したり人気のスポットを生み出す事で、一種土地転がしのような事ができたのです。
実際に、その土地転がしをしてアメリカでは、1億円を手にした人がでたと言った、まあ、昨今のYoutubarなどと同じようにそれをやれば儲かるという仕組みが人を引き寄せる所以になるのはネット業界のあるあるです。
アフィリエイトせよ、サイトに広告を掲載するといったことや、サービスをやると言うことでも、利益を追求したり利潤を生み出さないとダメですからね。
そうした意味で、本来は3DCGのバーチャルワールドで出来る事を研究するという目的で、作られたセカンドライフ。だから会社はリンデンラボって名前だったりしますしね。
まあ、そうしたサービスを日本に持ってくるときに儲かるという話をくっつけるとはやりやすいって状態もバブルの様相に拍車をかけて、さらには電通、博報堂っといった広告代理店がセカンドライフ自体を盛り上げる為に、投資もしていたりした。
事実、私のその行っていた会社も後に電通・博報堂から出資を受けたりした。
株主も今考えるとおもしろいというかすごいメンツだったな。
ただ、メンターといていた人の筋が悪かった様に思う。
その会社の名前は前回の記事のリンク先にでも掲載されていたので書いておくとSUNという会社だったわけです。
実態はないけど儲かるという臭いを発して上陸した日本のセカンドライフ。
ただ、当時のPCスペックだとラップトップ(ノートパソコン)では動かない。
CGを使っていたので、通常のCPU+メモリだけだと描画出来ないのでクライアントを動かす事もできませんでした。
まあ、当時のMMORPGなどと全く同じだったわけで、現在のCPUはCPU内にグラフィック機能をのせっているし、今のスマホなら余裕で動作させる事ができると思います。
だって、やっとCPUがCoure2Duoとかがでてきた自体。
まだ、3DCGを扱える程のスペックをコンシューマーが行き渡らせるという風にはなっていなかったわけ。
だから、実際には、あのはやっている時期ってのは環境としては早すぎたし、ビジネスにしようという思惑も無理があったように思う。
セカンドライフ内で会議やったりとか、だったらSkypeでよくね?って話だし、チャットもアバター対面してチャットってなんだかね。
という感じ。
また、会社がやろうとしたサービスが看板モデル。
バナーを設置してサイトにアクセスをしてコマースと結びつけようとした。
というサービス。
バナーって時点で本来はアドネットのようにしてワンタグでスクリプトを仕込んだものを設置すれば広告が表示されるってモデルなら、島を運営する人に広がったかも知れませんが、取った戦略がECのモールを作るという話。
コレが、かなり無理がある。
ターゲットは楽天の出店社
テレアポで楽天の出店者にアタックをして初月無料で店舗を設置させる。
まあ、3ヶ月続けてくれれば、ロハって感じで、会社として持っていたテレアポの子会社とかでYahooの回線売りながらアタックをしたいたよう。
ただ、基本楽天の出店者って素人だらけだから。
詐欺になりかねな一歩手前。
だって、売り上げないけど楽天に出している店もあれば、楽天で売り上げあってもアクセスにつながらないセカンドライフに広告貼ってもコマースの価値を創造している事にならない。
多分、この辺りを解消する為に、セカンドライフと連動したコマースのモールを作ろうとしていたのかも。
そうした動きもあったしね。
まあ、でも間口をセカンドライフにする事にはあまり価値はないから、どうだったのかな?
付帯サービスでTシャツ屋さんで、購入すると買ったTシャツと同じアバター用のTシャツもらえるとかやっていた様な気も。(やろうとしただけかな?)
とにかく、おもしろいというか、楽しさと連動する様な発想がなく、獲得して出店をさせるというだから、相変わらず、新たな仕事って言うよりクリエイターチームはどちらかと言うとビルダーチームって感じで、どう効率良く出店の数に対して店舗をCGで設置出来るかに苦心をしていた。
一方そのころ私の仕事は
なんだか知らないけど、モバイル事業部というものが出来て、そこの事業をやることに。
と言っても一人。
一応上長いたけど、すぐにアメリカ行ったし、事業部長は役員兼務だから基本、経験ない中でサイトを作ったり、既存のサービスを回していました。
予算だけは潤沢にある。
ただ、予算と言っても計上されているけど使えるかは知らない。
だから、サービスをリリースしてとりあえず、ワンタグのアフィリエイトでぶん回して会員を集める。
いや、2週間で700万つかったもの。
あつまりました。1月で10万人。
予算かければ、会員でも集まります。
ただ、無料モデルだから、会員と言っても広告で稼ぐしかない。
なのに継続した会員獲得は止められてしまいます。
動画で見れると言っても、画質荒いし3G時代だったから今ほど、ニーズがなかった。
ベンチマークとしていたMyTubeというサービスも会員数で言えば100万くらいだったから続けていてもスケールはしなかったように思います。
まあ、会員数だけでみれば、延べで30万位まではいきましたがポータル化するためにラジログというラジオ+ブログサービスと連動したり、上記のセカンドライフを携帯(ガラケー)で出来るというサービスをしたり色々、「技術」って面ではとがっていたことをしていたけど、とかくストリーミングに頼り過ぎで、ストリーミングを最適化する技術が稚拙だったり、その辺りの技術を持っているパートナー企業と揉めたり。
火種満載だった。
まあ、全体として外様だったので炎上していく様にはあまり関係なかったし、後半ではiPhoneも登場していたので日本に上陸間近という時点でしたから、もろもろ、アプリに移行したり(実際にアプリも作っていて完成間近ではあったので)することでかなりの問題点を解決出来ていた気もします。
ただ、セカンドライフの看板出店モデルはどうやっても破綻していたアイデアではあった様に思う。
だって、1サーバー1000人(そこまで来るとサーバー落ちる)ような3DCGサービスってスケールしないし、ストリーミングでセカンドライフをみせるってサービスだから、ユーザー増えるたびにサーバー増やさないといけない。
つまり、ユーザーがアクセスする毎にサーバーでセカンドライフのクライアントを立ち上げてそれをキャプチャしてストリーミング配信する。
そして、それをVMのような遠隔操作で操作するので遅延する。
で、1台のサーバーで収容出来る人数が10人とか恐ろしくコストパフォーマンスが悪いシステムでした。
だから、会員増えるたびにサーバー増やし、リース料がかさむという恐ろしい。
そんなサービスを続けるには技術でブレイクスルーしかないから、コマンドラインベースととかも考えていたみたいだけど、まあ、押して知るべし。
一番大変だったのは、2週間でまた、600本リッピングしろって話になったとき。
解決するために、パソコンを20台買わせて、それをつかって3日寝ずにやってなんだかんだ、なんとか1週間で形にはしたけど。
あれはヘビーだったな。
さて、本日はここまで。
次回は会社がなくなったときにお話を中心に。